日本の誇る医学者野口英世は、今みなさんの財布の中にいます。福沢諭吉しか入ってないという人、また小銭しか持ってないよという方もいるかもしれませんが少しばかりお付き合いくださいね。
そう野口英世は2004年(昭和19年)から現在にかけて千円札として起用されているのです。
ではなぜ彼が千円紙幣になったのかと疑問に思うあなたのためにちょっと調べてみちゃいましょう。
千円紙幣の歴史
日本の千円札にも歴史があります。まずはそこからみてみましょう。
最初の千円札は千円札甲とされ、1950年(昭和20年)から翌年まで作られていました。
肖像画は日本武尊(やまとたけるのみこと)と彼を祀っている滋賀県にある建部神社が表に描かれ、裏面は杉紋です。8100万枚発行されました。
このお札はすごく短命なので、持っている人は貴重だと思います。大事にしてくださいね。
私など実物を見たことありません。
次の千円札はB号とされ、表に聖徳太子、裏は法隆寺夢殿が描かれています。
1950年(昭和25年)から1965年(昭和40年)まで作られていました。
聖徳太子はみなさんよく知ってる人ですね。
この前にインフレ抑制のために紙幣の切替があったのですが、千円札の変更はありませんでした。
C券として次に作られたのは、伊藤博文が表で裏は日本銀行の図柄でした。
伊藤博文は日本で最初の総理大臣ですから知らないとは言わせませんよ。
この辺りから見たことあるという人もいるかもしれないですね。
この時は透かしに伊藤博文の横顔が描かれています。
129億6千万枚発行されました。
すごい数ですね。
途中1976年から記号番号の色が青く変わってるそうです。
持ってる人比べてみてください。
次はD券の夏目漱石、裏はタンチョウを現しています。
もう見たことある人増えたんじゃないでしょうか。
この年は文化人を起用したようですね。
1984年(昭和59年)から2007年(平成19年)まで使用されていました。
129億6千万枚発行されました。
これまたすごい数ですね。
このときからマイクロ文字や特殊発行インキを使用しています。
2000年から発行記号は暗緑色が使われています。
そして今E券として2004年(平成16年)からお目見えしたのは表に野口英世、裏には逆さ富士と桜を描いた現在の千円札なのです。
逆さ富士は岡田江陽の「湖畔の春」をモチーフにしています。
松の代わりに桜を描いているところなんかいいですね。
このときからすき入れバーパターンが使用され「二」「ホ」「ン」がシークレットマークとして入ってます。
見つけられますか?
わたしはなかなかわからなかったです。
野口英世は千円札の五代目を務めているのですね。
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千円札に起用された理由
時の財務大臣だった塩川氏によると「学術重視、男女共同参画、社会の推進」などを視野にいれて紙幣の人物を考えたそうです。
そして科学技術で世界に認められることを狙って、科学者の先人とも言える野口英世にスポットが当たったそうです。
それに、肖像画として模造されにくいヒゲとシワがあることが条件で、それにぴったりあったのが彼だったといいます。
小学校の図書室では日本の英雄、偉人として名高い野口英世のことをそのまま鵜呑みにして採用しちゃったんですね。
野口英世の別の顔があることを知っている人は、彼を神棚からおろすべきだと抗議したそうです。
そうですね。確かに勤勉で幼い頃から学問に励み、海外でも数々の論文を発表するまで上り詰めた野口英世ですが、彼には全く逆の顔がありましたからね。
人に頼んで借金をして、その金で放蕩三昧。お金が無くなればまた泣きついて貸してもらい、また飲んでしまうというずぼらなところがありましたから。
それを知っている人には、日本の代表とも言える紙幣に野口英世を使うとは言語道断だと思ったでしょうね。
それともうひとつ、これは都市伝説のひとつなのですが、日本がフリーメイソンの配下にあるのだということを世界に知らしめるためだったともいいます。
いろんな話が飛び交ってとても野口英世のまわりはにぎやかですね。
どのような理由があったにしても、彼の学問への情熱は本物だったでしょうし、そうめくじらをたてることもないでしょう。
でも、そう遠くないうちに千円札は別人に変わるかもしれませんね。
次は誰がなるんでしょう。きっと裏の顔なんてない天使のような人でしょうね。
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