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野口英世の名言

 

 

冬は雪が多く、その寒さはかなりのものでした。

 

戊辰戦争では新政府軍とみごとな戦いぶりをみせた会津の人々。

 

そんな土地に生まれ、会津の魂を受け継ぐように努力を積み重ねて、やがて偉大なる医学者といわれる人物となった野口英世。

 

その努力の影で、借金上手とも言われ、お酒に遊びにと散財しまくって、多くの人に迷惑もかけた彼ですがたくさんの言葉を残しています。

 

今では名言となったの野口英世のつぶやきを見てみようではありませんか。

 

貧乏とやけどが野口英世を強くした

「ナポレオンは3時間しか寝なかった」
「偉くなるのが敵討ちだ」

 

この2つのつぶやきは野口英世の貧しい中から何とかのしあがってやるという気持ちがめいっぱい込められていると思います。

 

過去に3時間しか寝なくても立派に国を統治した偉人がいるのだから自分にもできるはずだ。

 

そうやって不眠不休で必死に勉強をし惨めな貧乏生活から抜け出すんだ。

 

不自由な手をバカにした奴らを見返してやるんだという気持ちが伝わってきます。

 

英世は東京へ発つ前に実家の柱に小刀でこう刻んでいます。

 

「志を得ざれば再びこの地を踏まず」

 

これは彼が遺した名言としてけっこう有名な言葉なので聞いたことのある人も多いでしょう。

 

故郷を出て行くからには成功するまでは絶対に帰らないぞという強い決意を自分にも、家族にもいいきかせた言葉なのでしょう。

 

医学者として研究に没頭しながら

 

努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強するもの、それが天才だ。

 

そうですね。

 

天才だと言われる人はやはり並々ならぬ努力を続けて、天才と言われるほどになるのだと思います。

 

野口英世も然り、有名なスポーツ選手や様々な部門で活躍している人は決して楽な思いで今の立ち位置にいるのではないと思います。

 

私たちの知らないところで地道な努力を続けているのではないでしょうか。この言葉はいろんな人を勇気づけ、努力へと導いてくれるものだと言えますね。

 

絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、その上、心の平安を乱すだけだ。

 

「障害者であることは、学問においては問題にならない」

 

これらの言葉は、彼自身が過去の自分を振り返り、その絶望感を振り切って生きてきたんだということを物語っています。

 

誰もがマイナス思考に陥りやすいのに、やけどのハンデを抱えても泣き言を言わず、むしろそれを逆手に取るほどのプラス思考だったようです。

 

ただし、周りの人にはかなりの迷惑をかけながらでしたが。

 

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「学問は一種のギャンブルである」

 

この言葉は決して「俺はギャンブル好きだ」と言ってるわけではないことは皆さんもわかると思いますが、どうもギャンブルというフレーズが出てくると、そちらの方に気持ちが行ってしまいます。

 

なぜって、野口英世は学問と同じくらいギャンブルやお酒が大好きだったからです。だから恩師でも同僚でも言葉巧みに乗せて、お金を借りまくり平気で踏み倒していたそうです。

 

本人には全く悪気はなく、性格も人懐っこく憎めないところがあったようで、周りも英世のために一生懸命金策に駆け回ってくれていたようです。

 

「自分のやりたいことを一生懸命やり、それで人を助けることができれば幸せだ。」

 

「私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきた。」

 

医学者として目指すものを見つけた時の心境でしょう。

 

あなたは好きなことを仕事にできそうですか?

 

またすでに働いている皆さんはどうでしょうか。

 

なかなか好きなことで飯は食っていけないのが今の世の中です。

 

それでも好きなことを一生懸命勉強し、それを生涯仕事として続けられたら、それはものすごく幸せなことだと思います。

 

それができた野口英世は本当に幸せな人だったといえますね。

 

「人生の最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない。

 

猪苗代で生まれ、東京へ出て、そしてアメリカや諸国を渡り歩いた野口英世の故郷への想い溢れる言葉です。

 

貧乏が嫌で、成功者になりたくて家を出て、遥か彼方まで来てしまった。

 

そんな野口英世の郷愁をかきたてられるこの言葉を最後に、偉大なる学者であり偉大なる遊び人であった彼のつぶやきの紹介を終えようと思います。

 

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