黄熱病の研究なかばにして、アフリカのガーナに散った野口英世は、後世の私たちに何をもたらしたのでしょうか。
よくアフリカのアクラで命を落としたと言いますが、アクラはアフリカ西部のギニア湾に面したガーナの首都なんです。
はいこれでひとつ地理の勉強になりましたね。
地理の勉強はさておいて、野口英世がガーナにもたらしたものを探してみましょう。
もしかしてチョコ?
やっぱりガーナといえば、誰でもチョコを思い浮かべるでしょう。
確かにチョコは美味しいけど、野口英世がガーナで亡くなったところをみると彼はチョコを持ち帰ることはできなかったんですよね。
残念ながらハズレです。
チョコにガーナと名付けられているのは、カカオの産地であるためです。
あらこれも地理に役立つかな。
でも「野口英世がガーナにもたらしたものはチョコです」なんて答えたら、クラスメートの冷ややかな笑いしかもらえないこと覚悟しておいてね。
ではチョコではないとすると、野口英世は何をもたらしたのでしょうか。
日本とガーナの橋渡し役
アクラで亡くなった野口英世のことは、ガーナの人たちにも希望を失った出来事だっんです。
だからガーナ政府は英世の母国である日本に医療の協力要請をしてきました。
これを受けて、故郷の星である野口英世を目指す生徒であふれていると思われる福島県の福島県立医大が立ち上がりました。
1968年から8年間にわたって野口英世が研究をしていたアクラのコレブ病院で協力を続けたのです。
野口英世の研究をやり遂げたかったんでしょうか。
先輩のために、また病気で苦しむ人のためにもね。
このことが基礎医学研究所の設立に結びついたのです。
1979年に日本の援助で、ガーナ大学医学部附属野口記念医学研究所がつくられました。
この野口英世研究所はすごい発見をしているんです。
スポンサーリンク
野口英世研究所
なんとガーナで初めてエイズウイルスを発見したのです。
これはU型といってアフリカ特有のタイプで、しかもこの発見は世界で2番目だったそうです。
これを機に「ガーナに野口研」ありと世界中にしられることになりました。
野口英世が発見したわけではないけど、彼の遺志を継いだ研究所がやってのけたのですから大したものです。
今でも、マラリアやエイズ、結核などの研究が盛んに行われているそうです。
野口記念医学研究所は、コレブ病院という大きな病院の中にあります。そう野口英世がアクラのこのコレブ病院で黄熱病の研究をしていたのです。
研究室はきれいなままで、今でも生徒の実習に使われているようですが、当時のままの状態を保っており野口英世が研究に没頭する背中が見えるような気がします。
少しこの研究室を想像しながらノスタルジックにひたっていたいですね。ここには小泉純一郎元首相も訪れたそうです。小泉さんも野口ファンなのでしょうか。
それだけじゃないでしょう。日本の首相が来たっていうことは、いかに日本が援助をしているかがみてとれますね。
小泉首相は「野口英世アフリカ賞」を考えた人です。
アフリカの人にも世界中のどの国の人にも野口英世を超える人物が育ってくれることをねがったのでしょう。
悪く考えたら、野口英世の名前を使って日本から援助資金をもらおうとする意図がなかったとはいえないでしょう。
しかし野口英世ファンとしては、ガーナに愛され、今でも尊敬されつつある彼だからこの研究所があり、次々と研究者が育っているんだと信じたいですね。
今では、独立行政法人のジャイカや東京医科歯科大学など多くの機関がガーナに協力をしています。
野口英世は、まれにみる努力の人だったと私は思います。
人生を科学のためにつくした人だと思います。
そんな野口英世の気持ちを真から理解した人々が第2、第3の野口英世になってくれることを願ってやみません。
スポンサーリンク