猪苗代の貧しい少年から、自らのやけどというハンデに負けず学問に励み、やがてアメリカでその名を誇れるようになった野口英世のお話は、たくさんの伝記や小説に登場します。
子供向けの本には彼を偉人の1人として高く評価しています。
ですが彼をそこまでに成長させたのはたくさんの人たちの影なる苦労があったからなんです。
そんな野口英世の恩師といえる人たちに焦点をあててみましょう。
小林 栄先生
英世がまだ改名する前の清作であった尋常小学校の卒業試験で、小林先生と出会います。
この出会いが良かったのか悪かったのか、それから小林先生は何かと清作のために奔走することになるのです。
彼のために進学を勧めてくれたのも小林先生でした。清作は一生懸命に勉強したそうです。
ですが左手のヤケドのハンデが辛いと訴え、学校中から寄付を集め手術をすることになります。
確かに左手のために不自由なことはたくさんあったでしょうし、からかわれることも多かったでしょう。
でもしたたかな清作少年は、同情を引くような作文を書き、小林先生はもちろん学校中の寄付集めに成功し最初の手術となったのです。
その後は小林先生のような教師になりたいと漠然と考えていた清作に医学への道を教えたのも小林先生でした。
一生懸命に生徒のことを思いやる小林栄という人はとてもいい教師ですね。
清作が会陽医院で勤めるように世話したのも小林先生で、お金の都合もしてあげてます。
清作は金に困ると小林先生に泣きついて、お金が入ると人が変わったように遊んだそうです。
遊びが過ぎて、仲間からも胡散臭く思われていた頃、坪内逍遥の「当世書生気質」という本に巡り会い自分と名前も自堕落なところも似ている主人公が嫌で改名をします。このときも小林先生に泣きついて英世という名をもらったのです。
何故こうまでして英世のためにしてあげられるのか理解に苦しむところです。
血脇盛之助
彼もまた英世に翻弄された人物です。
会陽医院で英世に会った時、社交辞令で東京に来たら気兼ねなく寄りなさいなんていうものだから、英世は血脇のもとに転がり込んでしまいます。
やはりお金がないと泣きつかれれば、少ない給料から英世に分け与えたそうです。
何故?英世のどこかにそうまでさせる何かがあったとしか思えません。
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フレキスナー教授
アメリカへ渡ってからの英世が一躍有名になったのは、フレキスナー教授が与えた課題、つまり蛇毒の分析によるものでした。
英世は熱心にこの研究に取り組み、自らその成果をあげたのですが、やはり教授がこの課題を与えてくれたからだと思います。
これをきっかけに彼は医学への道を突き進んでいくのですから。
多くの人が英世に振り回されそれでも彼を諦めずに応援し続けた結果、医聖野口英世がうまれたんですね。
何度でも借金に応じ、励まし続けた恩師たちには野口英世の輝く未来が見えたのでしょう。
そう医聖となる彼の姿が。
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