いとしいメージーへ
「メージー、君は今どうしていますが?便りがないと気になって研究に身が入りません。どうか連絡をしてください。」
「メージーもうすぐ帰るよ。正確な日にちが決まったら連絡するよ。待っていてくれメージー。」
伝染病の研究で有名な日本の誇る医師である野口英世は、アフリカのアクラから妻に向けて何度も電報を送っています。
自分の命が尽きようとしているときも元気をよそおい妻へラブレターといえるほど愛を込めた文章を送っていたのです。
研究に没頭し、ほかが見えなくなるような人物ではなかった、いえどちらかというと研究以外に熱心に遊ぶことを好んだ英世は、妻に対する思いもすごく深かったんだろうと思います。
野口英世という人は、人から借金をして遊びほうける天才でしたし、その借金を踏み倒すことも平気な人でした。
その英世が心の底から愛した妻はどんな女性だったのでしょう。
あまり人に語られることの少ない彼女のことをここでちょこっと知ってください。
二人の出会いと結婚
先ほども言いましたが、野口英世は遊ぶことが好きな人でした。
当然酒場にも出入りしていたでしょう。、
そこに勤めていたメリー・ロレッタ・ダージスという女性と知り合います。
メリーは英世より背が高くて目の大きな魅力的な女性だったそうです。
彼女はスクラントン・ペンシルバニア州の出身で、父 アンドルー 母 フランセスとの間に生まれました。弟さんが3人いたといいます。
英世は友人のピアニストのジャックとその恋人マーテルとの4人でダブルデートを重ねたうちに、結婚してしまおうということになり酒場のマスターの口利きで立会人が選ばれて、無事結婚できたそうです。夫 ヒデヨ・ノグチ 妻メリー・ロレッタ・ダージス 1911年4月1日のことでした。
この結婚もバタバタとしていたし、英世の研究所の人には秘密だったようです。
世界的に学者として名前が知られ始めていた彼には、もっと良家の嫁をと考えるのが普通だったでしょう。
秘密にしておかなかったら酒場に勤めていてお酒も強くタバコも吸うメリーは彼の嫁としては認められなかったでしょう。
メリーの酒豪ぶりはかなりすごく、酔って英世をぶっ飛ばすこともしばしばだったとか。
ほんとならすごい女性ですね。
英世はよく家にも研究を持ち込んでいたそうですが、メリーは何も触れずに彼の好きにさせていたようです。
研究の邪魔にならないようにしていた静かな面もあったのですね。
英世を支えたもう一人の女性
愛するメージーのほかに、英世には長年ともに研究に取り組むパートナーがいました。
ミス・ティルディンという女性です。
彼女は92歳でこの世を去ったそうですが、最後まで英世とのことは何も言わなかったということです。
英世とミス・ティルディンは12年間も研究所で昼も夜も一緒だったといいます。
彼女は英世に献身的に尽くしていたことから、二人は研究者のパートナー以上の関係だったのではないかと想像されていますが、どうでしょう。
本当に彼女は英世に陶酔していたと思います。
だからそばで一緒に研究するだけで幸せだったんじゃないでしょうか。下世話な推測をするのは、彼女の名誉を傷つけるものだと思います。
それに英世には愛する妻がいたのですから。
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英世の死後
英世が死んだ後、彼の遺言書には愛する妻にすべてを譲るとあります。
そして借財はすぐに返すようにとも。自由奔放に生きた英世でしたが、その借金は気になっていたのですね。
メージーは、数年にわたって英世の姉と、恩師の孫である小林栄に送金をしています。
彼が借金をして人に世話をかけながら偉大な医学者となったことをよく理解していたのでしょう。
だから彼の死後、その恩返しをしていたのだと思います。
大酒飲みで、気の荒い妻だといわれることもあるメージーですが、そんな彼女の心細かい部分を知ると決して悪妻などではなかったといえるでしょう。
遊び好きな英世は、その妻の選択も間違っていなかったんですね。
英世の死から6年後1947年12月31日、メリー・ダージス・ノグチは愛する夫の待つ場所へと旅立ちました。
ウッドローンの墓地で二人仲良く語り合っていることでしょう。
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