平成20年(2008年)第1回野口英世アフリカ賞の授賞式が横浜で行われました。
記念すべき初回の受賞者は、医学研究部門のブライアン・グリーンウッド博士(英国)と医療活動部門のミリアム・ウェレ博士(ケニア)のお二人でした。
野口英世アフリカ賞ってごく最近定まった賞のようですね。
この野口英世アフリカ賞についてちょっと好奇心が湧いたのでしらべてみました。
野口英世アフリカ賞制定のきっかけは?
目的はもちろん、野口英世が死ぬまで続けていたように、アフリカでの感染症などの病気に対し積極的に取り組み、それが結果として人々の繁栄と平和に貢献することになることを目指しているのです。
誰がこの賞の言い出しっぺかというと、あの小泉純一郎さんでした。
彼が総理大臣だった平成18年(2006年)ガーナ共和国の首都であり、野口英世が命を落とすことになったアクラで小泉総理大臣とクフォー大統領との会談で、この野口英世アフリカ賞を創設しようと小泉総理大臣が提案したのです。
そしてこの賞は正式なものとなります。
この賞は5年ごとに開催されるアフリカ開発会議のさいに授与されることになりました。
研究に打ち込み、人々の健康と平和のために自らを投げうってたくさんの細菌を発見し、医聖とまで呼ばれるようになった野口英世のあとに続いてくれる有能な医学者を求めているんですね。
時の総理大臣が発案者となれば、野口英世が日本人としていかに諸国に誇れる偉人であったかがよくわかります。
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野口英世アフリカ賞の内容
この賞は先にお話ししたように、アフリカでの感染症などの研究をし、その功を認められた人に送られます。国籍や性別、年齢等は関係ありません。実直に研究に励んで功績が認められさえすればいいのです。
野口英世が生きていたら、その賞を目指していたでしょうか。欲を出さずに黙々と研究に励んでいたかもしれませんね。
彼は、借金までして遊び呆けるところがありましたが、欲を出すところは無かったように思えます。
ただ研究したかった。ただ遊びたかった。それだけで深い思いは無かったと私は思うので、その賞は気にしなかったと思います。
実際はノーベル賞候補に何度も上がりましたが全て逃しています。
アフリカ賞に話を戻しましょう。
医学研究部門としてその研究者に、そして実際に医療活動の面で功労があったと認められた者に医療活動部門としてそれぞれ1名ずつ送られます。
小泉総理大臣としてはノーベル賞に匹敵するような賞にしたかったようで、その賞金も1億円と高額になっています。総理大臣はこの賞金のために自分の総理の退職金を全て寄付したそうです。
それほどまで力をいれていたんですね。
野口英世は日本の誇り、日本のノーベルなのです。
ノーベル賞は約1億5000万円らしいのですが、1つの部門に3人受賞者がいればそれを割るらしいです。
それにノーベル賞はノーベルの残した不動産などを運用して資金を工面しているそうです。
一方野口英世アフリカ賞は総理の退職金と財団資金からそれと各種団体からの寄付金から成り立っています。
この賞を存続していくにはみなさんの寄付金が大きく影響すると思います。
第2回野口英世アフリカ賞は平成25年(2013年)に贈られています。
医学研究部門ではベルギーのピーター・ピオット博士が、医療活動部門ではウガンダのアレックス・G・コウティーノ博士がそれぞれ受賞しています。おふたりは国連大学で公演もされています。
お二人とも野口英世を目指し、研究に励んできた人たちでしょう。
次回平成30年(2018年)に開催される野口英世アフリカ賞にはどんな人が選ばれるのでしょうか。
野口英世の意志を引き継いだ素晴らしい人たちがたくさん育ってくれると期待しないではいられませんね。
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