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猪苗代湖

 

 

野口英世は日本の誇る医学者である一方、どうしょうもなくお金にだらしなく遊び呆けることが大好きだった人です。

 

睡眠時間はほとんど取らず、2・3時間寝ては研究に戻ったり、ふところに書物をしのばせながら遊びに出かけて行ったりする彼はどういう性格だったのでしょう。

 

英世の出身地

 

明治元年(1868年)戊辰戦争がおこりました。

 

あの有名テレビでも取り上げたことのある会津を巻き込んだ戦争です。

 

王政復古を目的とした新政府軍と、旧幕府勢力が戦い新政府軍が勝利することで新しい明治の政府が世界的に認められました。

 

この戦いで、二本松城とともに戦死した二本松少年隊や、悲しい運命をたどった白虎隊までが出陣しました。

 

一方、鶴ヶ城を守るため、スペンサー銃を手に男性に混じって立てこもり戦った山本八重(後の新島八重)や、娘子軍と呼ばれる人たちが薙刀を持ち、敵に立ち向かったのです。

 

その娘子軍の隊長は中野竹子という聡明な女性でした。

 

薙刀の名手であった竹子は勇ましく戦いますが、敵に撃たれてしまいます。

 

妹の優子が助けようとしますが、戦いの最中です。

 

敵の銃弾は容赦なく襲ってきます。

 

息のあるまま置いていかれれば、敵に捕らえられてしまう。

 

それは屈辱でしかないと考えた竹子は妹にとどめをさしてほしいと頼みます。

 

敵の銃弾が飛び交う最中に優子は決断を迫られたのです。

 

敵の手に落ちることを考えればこのままこの手で姉を楽にしてあげたいと瞬時に悟ったのかもしれません。

 

優子は泣きながら姉の首を切り落としたのです。

 

また、政府軍が家老西郷頼母の屋敷に踏み込んだとき、女子供など21人が白装束で自刃して果てていました。

 

その中で一人まだ息があり死ねずに苦しんでいる女性がいました。

 

彼女は政府軍に向かってあなたは敵ですか、味方ですかと聞きます。

 

胸をうたれた彼は味方であると嘘を言います。

 

そして苦しむ彼女を介錯して楽にしてあげたといいます。

 

男性も女性もそして子供たちまでもなんという勇ましさでしょう。

 

それと同時に潔さがあふれています。

 

これは会津という場所と地形が原因のひとつだと思われます。

 

会津の冬はとても寒く、山に囲まれたこの地はよそから孤立してしまいます。

 

だから人々は助け合い、決断力の強い、純粋な心を持って日々を送っていたのでしょう。

 

これが会津の人たちです。

 

この戦いは英世の生まれるほんの8年ほど前に起こったのです。

 

当然英世の父も母もこの戦いの中にいたのです。

 

その戦いを乗り越えてきた両親の背中を見ながら英世は育ったのです。

 

英世が寝る時間を惜しんで研究に没頭した努力家である点はこの会津の人の生真面目さがあってのことでしょう。

 

でも、あれ、なぜかこれまでお話してきたような勇敢な会津人のような英世を想像できません。

 

だって、人に借金をしては、飲みにいくとか、将棋を打ち出したら何時間もやめないとか、ずぼらなイメージが会津人のそれとは一致しないんです。

 

そこで登場するのはこの人です。

 

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小原庄助さんの言葉歌

 

「小原庄助さん、なんで身上つぶした。朝寝 朝酒 朝湯が大好きで、それで身上つぶした。」

 

これは子供の頃から誰でも知ってる言葉歌ですね。

 

この小原庄助さんも会津人だったのです。

 

この歌が日本中にひろがったのは、小原庄助さんが駄目なやつだといっているからではないと思います。

 

会津の人は、純粋で楽天家で、あまり物事を気にしないという面が人々から愛され、親しまれたからなのだと考えます。

 

先ほども触れましたが、会津の冬はひどく寒いので、お酒で温まり、いやな事を忘れ楽しく生きようとするための生活の知恵でもあったのかもしれませんね。

 

そうこれこれ、これがまさに英世のずぼらな方の生き方にあてはまるではないですか。英世の父の佐代助はまさにこの見本のような人だったそうです。

 

でもお酒におぼれても、しっかり働きましたし、人望も厚く人々に慕われていたそうです。

 

英世も恩師に借金をしては、遊びに夢中になり、また借金をするという生活ぶりでした。

 

しかし根っからの陽気さと、人に好かれる性格だったため、また人は英世にお金を貸したのです。

 

それに遊びに行くときでも、勉強の本を必ずふところに入れていたことで、彼は絶対の信用を受けていたようです。

 

普通、どんなに才能があると思われる人物にでもそうそうお金を貸したり、借金の工面をしてやったりはしませんよね。

 

それを恩師たちにさせた英世という人の会津人としての、時に勇ましく、時に愛らしくみえるその性格はとても魅力に満ちたものだったのでしょう。

 

そんな英世博士に、一度でもお会いしてみたかったです。

 

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